【聖霊降臨節第二十二主日】
                                        2017年11月5日                       
            司 会 岡 紘 兄 
                                              奏 楽 

前  奏
招 詞   ローマの信徒への手紙 13章8節:
「互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。
人を愛する者は、律法を全うしているのです。」
讃美歌   142 「さかえの主イエスの 十字架をあおげば」
交 読    詩編51篇 (旧約884頁)
聖 書     マタイによる福音書 5章43節〜48節 (新約8頁)
祈 祷
讃美歌    280 「わが身ののぞみは ただ主にかかれり」
教会学校の生徒さんへ         牧師 柴川 理一郎
説 教   「神の愛は全ての人に」
聖餐式
讃美歌     515 「十字架の血に きよめぬれば」
献 金
執り成しの祈り
主の祈り   (週報裏参照)
頌  栄  541 「父、み子、みたまの」
祝  祷
後 奏    515 「十字架の血に きよめぬれば


11月の聖句

「だから、明日(あす)のことまで思(おも)い悩(なや)むな。明日(あす)の事(こと)は明日(あす)自(みずか)らが
思(おも)い悩(なや)む。その日(ひ)の苦労(くろう)はその日(ひ)だけで十分(じゅうぶん)である。」

マタイによる福音書6章34節


説教関連:「律法と福音」

マタイ5章から7章は「山上の説教」として知られている。今も生きておられる主が語られた説教である。この説教は、主が十字架と復活とにより、また聖霊の助けによって、福音の恵みとして、私たちに迫って来る。そして、「山上の説教」は単なる倫理や道徳ではなく、命の福音説教なのだ。
★「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」が一般常識である。もし、律法の義を全うすることが聖書の教えとするならば、「山上の説教」は恐怖の律法となる。欠けのない人間はいないし、玉のようにバランスのとれた美しい、完全な人間は存在しない。しかし、ここで語られている「完全」は、「あなたがたの天の父が完全であるように」(マタイ5:48)の御言葉通り、キリストにおける神の愛を示しており、十字架の事実を啓示している。神は「赦す」神なのだ。
★天の父は独り子をこの世に送られた。それは、人間には果たすことのできない、アガペーの神の愛、即ち「敵をも愛する愛」をイエス様の十字架において示す為だった。キリストが欠点だらけの私のために十字架にかかられた事実を知るときに、岩のような私の頑固な心が打ち砕かれる。私はどんな罪からも、十字架の血潮によって赦されていることを知る。そして、苦しみの心が平安にかえられる。
★山上の説教は、律法学者との激しい対立の中で、「・・・してはならない」の律法に対決して、「しかし、わたしは、あなたがたに言う」と権威ある者の声として、赦しの宣言として響いてくる。すべての者を愛する神、罪を赦す愛の神を心に受けとめる時に私たちは神の子となる。

お知らせ
★2017年11月12日(日曜日)の礼拝は以下の予定です:
   説教題:「神は愛なり」
   聖書箇所:ルカ 17章20〜24節
   司会者予定:天野 一 兄
★来週11月12日は、献堂60周年記念礼拝です。午後3時開場、3時半からは、福音歌手の、森ゆりさんをお迎えして「夕べのコンサート」が開演します。皆様のご協力をお願いします。
  【聖霊降臨節第二十一主日】
                                        2017年10月29日                       
            司 会 梅本 幸一 
                                              奏 楽 
前  奏
招 詞   フィリピの手紙 2章13節:
「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」
讃美歌   90 「ここも神の みくになれば」
交 読    ヨハネの手紙 一 4章7節〜12節 (新約445頁)
聖 書     マルコによる福音書 10章2節〜9節 (新約81頁)
祈 祷
讃美歌    332 「主はいのちを あたえませり」
教会学校の生徒さんへ         牧師 柴川 理一郎
説 教   「福音はいましめを越えて」
讃美歌     504 「実れるたのもは 見わたす限り」
献 金
執り成しの祈り
主の祈り   (週報裏参照)
頌  栄  540 「みめぐみあふるる」
祝  祷
後 奏    504 「実れるたのもは 見わたす限り」


10月の聖句

イエスは言(い)われた。「わたしは復活(ふっかつ)であり、命(いのち)である。
わたしを信(しん)じる者(もの)は、死(し)んでも生(い)きる。」
ヨハネによる福音書11章25節




説教関連:「神の御旨を知る」

結婚について、更に離婚の問題について、聖書はどのように語っているのか。また結婚しない人についてはどうなのか。マルコによる福音書10章2~9節には、離婚の問題に関して、またマタイ19章12節には独身者についての記載がある。離婚は赦されるかどうかの問題は、当時ユダヤの人たちの間で議論をよんだ。しかし、神が人を創造されたこと、そして、結婚は神のみこころによるとイエス様は答えられた。
★律法学者が引用した申命記24章1節には、妻との離婚は離縁状によってなされるべきであると書かれている。女性には離婚を申し出る権利が当時には無かった。だから、これは女性を守るための律法だった。イエス様は、創世記1章27節を引用されて、「神は御自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された」この御言葉に結婚の根本があると回答された。
★男と女の結婚は、神の御旨である。創世紀2章24節、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」、即ち、結婚は神の御旨による。そこには神の祝福がある。故に、神の御旨に
よって結婚した二人を引き離すことは誰にもできない。
★パウロはTコリント7章15節に置いて、「信者でない相手が離れて行くなら、去るにまかせなさい。結婚にしばられない」と記している。マタイ19章12節には、「天の御国のために、自分から独身者になったものがいるからです」とも書かれている。イエス様も弟子ヨハネも生涯独身であった。独身であるか、離婚しているかが問題なのではなく、神の御旨によって今生きているかがこの問題の基本なのだ。
★神がひとり子をこの世に送って、人類のとが、罪を赦された。私たちは神によって、過去の罪が覆われて、日々赦されていま生きている。この十字架の愛は相手を受け入れる力を生み出す。

お知らせ
★2017年11月5日(日曜日)の礼拝は以下の予定です:
   説教題:「神の愛」
   聖書箇所:マタイによる福音書 5章38〜48節
   司会者予定:岡 紘 兄
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