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「神の国は直ぐそこに」
  「神の国」は、イエス様が公生涯を始める時に初めに語られた言葉である、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1章15節)。創世以来、アブラハムを含む多くの預言者を経て、待ちに待った福音は、現在、現実となり直ぐ手の届くところに来ているとの意味である。そして、この「神の国」のすべては、イエス・キリストの中に、またキリストを通して見出すことができる。
▼Uコリント2章17節、「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造されたのです」の御言葉には力を感じる。そして、その後に続く、「古い者は過ぎ去り、新しい者が生じた」の箇所を、尾山令仁先生は、「もはや、それまでの人生ではなく、全く新しい人生が始まったのである」(個人訳)と訳された。全く新しい人生とは、いかに私たちの心が汚れていても、イエス様は十字架上で傷ついた御手で、優しくつつみ、雪の如く白くされる。どんなに傷ついた心もイエス様の愛の御手によって癒される。
▼「実に神の国はあなたがたのあいだにある」(ルカ17章21節)と書かれている。イエス・キリストは聖霊を残して御父のもとに帰られた。今イエス様を信じる私たちの心の中に存在する。そして、イエス様は生きていて働き、私たちの生活を変えて行く。憎しみが去り、自分のことよりも、先ず相手の利益を考える人へと変わる。
▼かつて、クリスチャンを迫害したパウロは、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」との呼びかける声を聞いたときに、彼の人生は一変した。キリストの使徒(神に遣わされる者の意味)となり、命をかけて福音を述べ伝えた。そして、新約聖書27巻の内、計13巻の手紙を残した。パウロを変えたのはイエス様である
「最も小さい者への愛」
 いま何かを必要としている人、困っている人たちに私たちの目はどれだけ向いているだろうか。マタイ25章は、弟子達に語られた最後の教え、十字架を目前にしたイエス様の決別説教である。そこには、飢えている人、水を求めている人、宿のない人、着るもののない人、病の人、そして牢獄にいる人、計六種類の貧しい人たちにイエス様の目が向けられている。そして、「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのだ」と語られた。
★カルカッタの修道女マザーテレサ(1910〜1997)は、「貧しい人たち、道端に捨てられている人の顔の中に、イエス様の顔を見る」と語っている。「主よ、いつわたしは、飢えている人を見て食べ物を差し上げ、のどの渇いておられる人を見て飲み物をさしあげたでしょうか」と正しい人たちは問うた。本文には、この「いつ」と言う言葉が繰り返し使われている。飢えている人は、私たちの気が付かぬところに、直ぐ近くにおられるのかもしれない。
★ルカによる福音書17章21節には、「実に神の国はあなたがたの間にある」と記されている。神の国は、直ぐ手の届くところに、そして私たちの周囲にあるとの意味である。「はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」(マタイ25:45)とイエス様は最後に述べられた。
★イエス様を信じる者は、必ず天国に行くことができる。そして、「神の国」は天地創造の時から用意されている。私たちの努力によるのではなく、恵みにより、だれ一人、もれなく御国を受け継ぐことができる。イエス様の十字架の愛を知る故に、「この最も小さい者」に、神の恵みによって、憐みの手を差し伸べることが可能である。