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「神の無限の赦し」
 人を赦すことほど、難しいことはない。マタイ6章9〜13節に記されている主の祈りには、「わたしの負い目を赦してください。わたしたちも自分の負い目のある人を赦しましたように」(12節)とある。そして、14節には、「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しなる」と説明が追加されている。私たちにとって、赦すことの難しさ、そしてそれゆえに赦しの重要さが読み取れる。
★マタイ18章23〜33節のたとえ話には、赦された僕と、赦さなかった僕が対照的に記されている。とても返済不可能な負債を負った僕がいた。必死にひれ伏して謝る僕を見て、主人は憐れに思い、全ての負債を全て赦した。自分の持っている財産も、家族も、全てを失い、且つ牢に入るはずの身が、寛容な主人のおかげで負債なしの全くの自由になった。
★ところが、その僕は、かつて自分に負債の会った同僚の僕を探し出して、自分のお金を返せと迫った。全部返すから待ってくれと懇願する同僚を赦さず、牢に放り込んだ。主人はその赦さなかった僕に対して、「わたしはお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れむべきではなかったか」と怒り、牢にほうり込んだ。
★私たちは、イエス様の十字架の赦しを知っている。私たちの過去の過ちも、罪も全てご自分の身に負ってくださり、十字架上の死を通して赦しの御業を成就された。この神の赦し、神様の愛を知るときに、赦せない相手はあり得ない。 罪赦され、自由の身になった喜びを賛美に変えたい。
「神のものは神に返す」
 二千年前のイスラエルは、ローマの占領下にあった。ユダヤの人達は、ローマの帝国カイザルへ、男性一人(14歳から65歳)当たり一デナリの税金を納めることが求められた。そして、その税金は、ローマの基準貨幣であるデナリオンで支払わなければならなかった。 
▼イエス様を何とか葬ろうと企む、当時の権力者であったファリサイ派の人達は、ローマと親交のあるヘロデ党の人たちと一緒に、「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」とイエス様に質問している。もし「その通り適っている」と答えれば、ローマへの税金を好ましく思わないユダヤ人の怒りをかうし、「適っていない」と答えれば、ローマに忠実であろうとするヘロデ派の人達を怒らせることになる。この質問は実に巧みな罠であった。
▼イエス様は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)と答えた。デナリ硬貨には、カイザルの頭(かしら)が刻まれている。十戒には、「あなたは、偶像を作ってはならない」と記されている。同時に神への献げ物はユダヤ人の信仰のあらわれである。イエス様の答えを聞いた質問者は、「全員立ち去った」と書かれている。イエス様は危険な罠を見事に逃れたのだ。
▼私たちイエス様を信じる者は、この地上に生き、同時に天国を目指して生きている。「私たちの本国は天にある」(ピリピ3:20)。いうなれば地上と天国の二重国籍を持って生きている。
▼来週11月2日は60周年献堂記念日になる。「神のものは神に返す」私たちは、毎週献げられている礼拝を通して、それを実行している。礼拝こそが主の最も喜ばれることだからだ。そして、主はこの教会を支え、私たちを支え、弱った時には力を与えてくださる。教会の頭(かしら)であられる主に信頼して、最後まで忠実な主の僕として生きて行きたい。
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