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「隣人への愛」
 聖書で最も大切な律法は何であろうか。聖書研究の専門家、律法学者の質問に対するイエス様のお答えは、「三つの愛」に生きること、即ち、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する、この「三つの愛」に向かって生きることだった。マルコ福音書12章30〜31節には、聖書の中で最も大切な掟は、「神を愛する」こと、そして、第二の掟は「自分を愛するように隣人を愛する」ことと記されている。そして、イエス様は、愛こそ、困難を乗り越え、努力なくしては達成出来ないことを、みずから背負った十字架を通して私たちに示された。
★ルカ10章25節からは、「善いサマリヤ人」のイエス様のたとえ話が残されている。律法の専門家の質問、「わたしの隣人とはだれですか」に対して、イエス様は、ユダヤ人から憎しみを持ってみられていたサマリヤ人が、半殺しにされた傷だらけのユダヤ人を助けるたとえ話をされた。ここで言われる隣人とは、民族の枠を越えて、人種差別の境界線や宗教的なしきたりを除去して、愛の対象は全ての人が含まれることを示された。
★ユダヤ人の人達は、毎日、朝と夕方の二回の祈りを守ってきた。そして、その祈りは、常に、唯一の神のみを愛する「シェーマ(神よ、聞きたまえ)の祈り」で始まった(申命記6:4−9)。そこには、イエス様が言われた第二の掟、「隣人を愛する」(レビ記19:18)は祈られていない。イエス様が初めて、神を愛し、隣人を愛する、この二つの掟を一緒にされた。隣人を愛することなしに神を愛することはできない。質問した律法の専門家がそのように答えたときに、「あなたは、神の国から遠くない」とイエス様は語られた。(マルコ12:34)
★愛は受けるのではなく、与えるものだ。「友のたちに自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)。この御言葉は、時代を超えて、今日生きる私たちに愛の大きさを伝え続けている。
 
「豊かさの中の愚かさ」
 今、私たちは人生の目標をどこに置いているのか。そして、どこに向かって進んでいるのか。人生の方向転換は、年齢の若い時には余裕がある。しかし、50代、70代とだんだん年をとるにつれて、方向転換の余裕はあまり残されていない。
★ルカ12章には、裕福な農夫の話と、貧しさに生きる人たちの両者の話が納められている。ルカは、「貧しい者は幸いです」(6:20)と記し、貧しい人たちには慰めの言葉を与えている。しかし、豊作に恵まれ、十分な収穫を得て、将来の心配が全く無くなった豊かな農夫には、「有り余るほど物を持っていても、その人の命は財産によってどうすることもできない」(12:15)と記して、注意と警告を与えている。
★「自分の魂に言おう。たましいよ、お前には長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」(口語訳12:19)。この金持ちの農夫には責められるところは見いだせない。天の恵みを受けて、豊作を得、金持ちという幸運の鍵を自らの努力で勝ち得たのだから。しかし、イエス様は、たとえ話のなかで、「愚か者よ。お前のたましいは、今夜にも取り去られる」と語られた。
★もし、人の命がこの世だけのものならば、即ちひとは死をもってすべてが終了するならば、死という最終駅に着く前に、自分の得たもので、安心して、飲んで、食べて、楽しむ生き方は納得出来る。しかし、聖書は人間は死で終わるのではなく、ひとのたましいは死後も生き続けると教える。死後の世界を信じる人は、70年、80年のこの世の生涯よりも、一千年後、二千年後の永遠の世界に目を注ぐ。
★金持になった農夫の賢い生き方は、豊作で得た収穫は自分の為だけではなく、困っている人たちの為にも用いるべきだった。目標をこの地上にではなく、天に置くことが賢い生き方であることを、イエス様はこのたとえで教えられた。