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1. 信仰と行為の規範としての聖書の, 誤りなき霊感と十全性を認めること.

2. おのが罪を悔いあらためず, 救いのためにキリストを信じない者は, 教会員となりえないことを認めること.

3. かかる者はまた, よき信仰告白をなし, 真に悔いあらためるため, 真にキリストを信じており多少とも聖霊の証をもつという心からなる確信を宣言しうること.

4. その他のあらゆる種類の問題は, すべて見解上の事柄であり, 教会の一致に本質的な事とはしないこと.
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 キリスト公同教会と称せられる福音的プロテスタントの団体の会員として, 私達は, あらゆる時代のキリストを救い主とし, 主として信じるすべての国民と共に, キリストとその教会に属する.
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 キリスト者であると言う事は, キリスト及びキリストの働きに連なっている者のことである. また公同的(世界的)であると言う事は, 神の全家族に連なっていることであり, いかなる民族, いかなる国民, いかなる階級の者と言えども,
キリストのもとに来るよう招くことである. また教会であるということは, 人類に対する神の目的にあずかるため, 神の民として召し出されることである.
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 私達は, 恐怖・憎しみ・貪欲・不正などに満ちた世に住んでいる. しかし私達は喜びを持って, 神がこの世を創造しこれを支持しておられることを確信する. また神の最高目的は, 愛における世界的交わりを完成するにある事を確信する. この目的のために, 神は自分の形に人を創造された. それは人が神を信じ, 神と隣人に対して全く私心なく仕えて, その生涯を全うするためである.
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 しかし人は, 自分自らに仕えるために神と隣人に背いている. そして神におけるまた神の民と共にいる真の生活から離れている.
 人はあらゆる事において おのれの事のみを求む. 人は自らの罪が産んだ 傲慢・不道徳・不正などから逃げることができない. しかし神は, 私達を愛してくださったその大きな愛をもって, 人の罪のゆえに人をお捨てにならなかったということが, 善いおとずれであり, 私達のもたらすべき使信である.
  神はイエスキリストすなわち彼の生涯およびその死と復活とにおいて私達のもとに来られた. 私たちは乙女マリアより生まれたナザレのイエスすなわち人として世に来られた神の子を見る. 彼は私達のために自らを私達と同じくして, 私達を私たちの罪から救い出すために十字架に掛かられた. キリストの死は悪魔と悪の力に対する勝利であった. 彼は勝利を得て復活し主の位に登られた. その再臨の時, 彼の得られた勝利がはっきり現れてくる.
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 この善いおとずれは, 私達に悔い改めと信仰とをもって答えることをせまる. そして私達は, キリストの体すなわち教会の肢体として神との新しい関係に生まれさせられる. そして神は聖霊として私達の中に宿り, 私達の隣人のために愛をもって仕えさせる. 聖霊は常に私達にキリストを証する. それゆえ, 私達はいかにしても聖書に来なければならない. その聖書はキリストについての預言者や使徒たちの神の力による霊感の証を私達に与える. 聖書を離れては私達はキリストを知ることができない. 聖書は私達にとって信仰と生活との基準である.
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 礼拝する団体として, 私達は説教や教えによって神の愛の福音を宣言するだけではない. バプテスマと主の晩餐の礼典によってもこれを現す. 私達は三位一体の神すなわち父と子と聖霊との名によって三度浸める浸礼をさずける. そしてキリストを救い主としまた主として受け入れたすべての人々と共に主の晩餐にあずかる. しかし礼典を守るにあたって大切なのは,外面的な形式よりも内的な事実である.
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 イエスキリストは痛められた心を回復し, 病める体を癒すために役立つ無限の富を持っておられることを私達は信じる. それゆえ私達は紙の癒しの恵みを確信する.
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 キリストが教えられたように私達は「御国が来ますように, 御心が・・・地にも行われますように」と祈る. そのため私達は人の知識が進み人間の文化が豊かになっていくことに関心を持つ. 私達は紙において家庭生活・社会的または経済的関係・国家的また国際的関係また人間の諸事のことの中に正義と和解とを願う. 特に私達には神の贖罪愛のよい訪れを世界中どこの人々にももたらしていく務めが委ねられている. しかし私達の希望は神にあって,私達自らの功績にあるのではない. 一人ひとりの運命と人間の歴史の成行きは裁き主としまた救い主としての神の手にある. それゆえに私達はキリストの再臨・神の御国の来ること・神とその民との永遠の交わりにおける生活を切に待ち望んでどこまでも働くのである.
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