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 保育に関って33年間が過ぎようとしている. いつも保育者としては何もできていないなと自分のことを思う. 初めからいつも気付かされていたが,保育を学ぼうと努力は少しもしてこなかった. 資格のある保育者になろうと思わなかったし,なれると思わなかった.自分の役割は別なところに見つけようと思った. 人として新鮮な心で子どもたちと接していきたいと思った.
 人の話や文で,子どもとの接し方について心を打つものがあると,私の心に留めてきた.その積み重ねが,私の保育に関する学びかと思う.


 20数年前に読んだ飯田和也氏の文が心に残っている. ここに引用してみる.
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話が始まる.たった一言であるが,この「ナニ!」と「なぁに」といった先生のことばの「受け答え」には大変大きな違いを乳幼児は感じているのではないだろうか.
 子供たちは「先生,大好き」「自分のこと愛してくれているのかな」「みててくれるのかな」と自分と先生との距離を確かめたい時に「センセイ」といったことばをかける場合がある.このような場面で保育者としては,どのように触れ合うかによって次の出会いに影響を与えることになる.保育者として「子供は自分を求めているのだ」「保育の中で自分自身を確かめたいとき」等といった「心の交流」を求めていると感じたなら「なぁに」といった,焦らないでゆとりをもった言葉をかけることである.そのような言葉によって乳幼児は安心して,「自分は受け入れられている」「存在を認められている」「愛されている」といった感覚になり,保育室や園庭にて情緒的に安定して,活動が出来るようになる.
 いつも「ナニ!」と言われて保育を受けた子供は「先生の顔色」を見て活動をしてしまう.そして,保育所の中で周囲の大人の顔色を瞬時に判断する能力が人より優れている場合がある.しかし,敏感になりすぎて神経質な面もでてくることになり,人間関係においてスムースにいかない場合がみられる.大人が見ていないところでは問題な行動をしたり,反対に,見ている時は従順であったりする.当然「先生」と問われて無視する行為も問題だが,子供にとって誠意が感じられる触れ合いを心がけることが「心に残る援助」である.

 保育界 1995.3月号
 柳城女子短期大学助教授(1995) 飯田 和也
 手紙や書類などを整理していたら,1973年7月の名古屋キリスト教社会館保育部5才児ばら・ふじ組の保育キャンプのプログラムと,ばら・ふじ組からの保育キャンプに来てくださいとの案内状が見つかった.
 感慨深く手に取り読み始めた.
 この年の3月に初めて社会館保育部を訪ねた. 社会館が学童保育の指導員を募集しており,それに応募したのが社会館を訪ねたきっかけだった.行ってみると,学童保育の指導員は既に決まってしまったとのことであった.
 「幼児保育はどうですか. 3日間保育に入って体験してみませんか」と話があった.幼児保育に関るとは全然予想していなかったが,5才児の保育の中にいれてもらった.いままで幼児と接する機会は無かったから,どのように幼児に接したらいいかは解からなかった. 私は幼児と関るというよりも人として関ろうと,思いを切り替えた.
 3日間,私は楽しく子どもたちと過ごすことが出来た.しかし保育としての関りは充分ではなかったと思われる.保育者として採用はされなかった.最後に保育部園長の岡部先生は「また,保育部に遊びにいらっしゃい.」といわれた. この言葉が私の人生を決定付けるものとなった.
 3日間の保育の体験の中で,子どもたちと親しくなることが出来たし,園長先生の凛とした姿に惹きつけられてしまった. 子どもたちと岡部園長にまた会いたいものだと思った. 「遊びにいらっしゃい」の言葉を受けて,4月にまた5才児のクラスを訪ねた. その時にまた「夏に保育キャンプがあるから来ませんか」と誘ってもらった. 
 保育のことなど解からないのに,保育キャンプに参加することにした.この時のプログラムを33年後の今見つけたのである.(2006.10.18記)
 
 保育に関ることは,私を作り上げる大事な要素になったし,今もこれからも私の人生を作り上げる大事な要素で在り続けると思う.
保育で何をしてきたか
 菜の花保育園(元 名古屋キリスト教社会館保育部)の保育に加えてもらっていると話すと,「何をしているの」と聞かれることがある. 保育に参加して何をしているかと言うと,何もしていない. 子どもたちといっしょに食べ,一緒に遊び,寝るときは安心して眠れるように見守ることだけだ.保育者として子どもを見るのでなく,子どもの側で共にいると云える.子どもたちから保育者として見られるのでなく,居るか居ないか意識されないほどであったらいいなと思って保育に参加している.
 実際 保育を手伝うために加わっているわけでは無いし,保育には担任の保育仕がいらっしゃる. それでは何のために保育に加わっているかと言われれば,回答に困る. 私は私の思いで保育に加わらせてもらっている.保育に加わる中で保育者の意図を汲んで,援けはするが,それを含んで私の思いの実現のために保育に加わっているかなと思う.
 それでは私の思いとは何か. 人の成長する過程(幼児・乳児期)に関れることの喜びにあるのではないかと思う. 自分の子どもであれば,一生親子の関りは続くが,幼児期は成長の過程の一時期であり通り過ぎてしまう.保育に関れば,いろいろな子どもたちが通りすぎて行く.ひとりの子どもと関るのは短い時間だし,子ども自身はその関りも時と共に忘れていってしまう.たとえ,私はいつまでもその子との交流を覚えていたとしても,子ども自身はそれを直に忘れてしまう. 
 だからこそ,いろいろな子たちと人生の一瞬であれ,関れることをなによりの喜びと思っている.
子どもの心を大切にする援助
「せんせい?」と問われて「なぁに?」と言えますか
「せんせい?」と問われて「ナニ!」と応えると,乳幼児はその先生の顔色を見て,「ア,もういい」という場面に出会うことがある.すると,先生は「もう,忙しい時にこたえられないわ.もっと暇な時に呼んでくれないかな・・・・・・.今教材の準備をしている時,職員室に行くとき・・・・・・」といった態度が見られる場合となる.それとは反対に「先生?」と問われて「なぁに」と応えると乳幼児は安心して「あのねえ・・・・・・先生,今日ね,Aちゃんがねぇ・・・・・・」と
(保育に関わり始めた頃)
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